ゆみ子の部屋

本と映画があれば人生楽しい

2025年3月23日

雑誌に載っていたタイトルです。膝と腰

痛くなかったらもっと楽しいし、きり

がないほど。好きな物自分の傍におき

。そして思い出すジャンヌモロー

出演映画のマイルスのトランペット心に

沁みる―ですけど、高校生の時日直当番

日誌に好きな映画50ほど書いていたら

頭にポカンと「勉強せい」と先生に言わ

れた事思い出した。今日の料理

今イワシがやすくてしお糀につけたり

醬油ずけにして冷凍する、焼くととても

美味しい、ハタハタは、酢と醬油煮

します。主人の好物

 

 

 

 


少しずつ

2025年3月17日

何となく暖かくなったり寒かったりで

体がついていきませんが思い出し笑い

しています。何年か前に新幹線の中で

いつもお味噌買いに来る、おねえちゃん

だと挨拶しようと立ち止まったら角田

光代さんと、やっときが付いた。

おねえちゃんどこいくの

いつもありがとうと言わないで良かった

今日の料理、はんぺんの半分に

卵白、とろろいも少しにさしみののこり

しお糀を入れてフードプロセッサーで

混ぜた。そして薄口醬油でおすましの

ようにした、母に食べさせたかったな

食べやすいフワッとつるんとした良い味

 

 

 


糀を作る

2025年2月25日

米を蒸す、蒸し上がった米に麴菌をかけて

平らにしてまたくずしたり息をさせたりして

3日間程発酵するお手伝いをします。手入れをする

といっています。外は吹雪、糀と雪がにていて

なんときれいな良い物をつくっているなとながめる

時があります。北陸人のコツコツきちんと生きる

姿勢が味につながっていくのでしょうね

でも、ゆきかき大変ですね

 

 


みそまる

2025年2月13日

ちょっとだけ雑誌に載りましたので輪島塗のお皿と、お椀

綺麗に写っています。えびの頭にカワハギ私の大好きな

味噌汁です、そして芸術だと言ってみそまるを作って

いる娘。70年位経っている輪島塗はじめてつかいました

なんとあでやかになるのでしょう。娘の作った

芸術作品が高級感あるように見えます。

ホッとする味噌汁の匂いに包まれる

旨味のあるバレンタインプレゼントいかがでしょうか。

 

 


雪だるま

2025年2月8日

雪かき大変ですね

雪がずうっと降っていますからつらら

の長さも1メートル以上になりました。

中学生女子2人家の前を、雪だるま

笑いながら転がしていた。学校

帰りの楽しみ方なのか家の前

水を流していたのでころがせなくて

ダンプの上に雪だるまのせて雪が

あるほうまで運んであげた。家まで

持っていきますと言ってまた転がして

行った。すきま時間の楽しみ方習いました。

 

 


寒いですね

2025年1月30日

ホワイトソースに醬油糀を混ぜて

グラタン風にしてみた。のこっていた

スパゲティを入れチーズをのせて

パン焼ききでやく。熱々でほこほこ

正月娘が来てね、「何か欲しいものある」

って聞いたら「だしつゆが欲しいって」

遠方から買いに来られたお母さん、母親は

子供の好物や何でも持たせてやりたい

食べさせてあげたい、自分の父母に

好きなものを遠くまで行って買いに

行った事があるだろうか?無しである

親は見返りを求めないと言い訳でありますが

反省ばかりです、

大事な人に食べてもらえることの大切さ

行いがなんと尊いものでしょう

 

 

 

 


今年もよろしくお願いします。

2025年1月13日

卵4個にはんぺん一枚、ヤマデンの

食べる甘酒60g程いれてフードプロセッサー

で攪拌する。あとはフライパンで焼いて巻き寿で

丸め。チョットズルズル感覚ですが

焦げ目が香ばしいあっさりした伊達巻です。

もう一品は塩糀なます、野菜をもむことで

美味しさ増し酢の物適してます。

今年も精進チョット息抜きしながら生き抜こうと思います

 


大晦日

2024年12月31日

今年の反省をするしかしすぐ忘れる

沢山の方々にお世話になりありがとうございました

来年もよろしくお願いします。

後ろからこの文章なんとかならないの

きこえてくる。よいお年をお迎えください。

 

 


ジャズを聴き

2024年12月28日

クリスマス甘気香りに薬ます。

机の上で笑う私、疲れているなと

思い立って富山NHK公開ジャズを

聞きに行く。きれいなお姉さまたちの

声を聴き心身リラックスする

夕ご飯の支度をして出かけた

甘エビの頭でだしをとる味噌汁

かぶらずしをのせた押し寿司作る。

これはもしかしてヒット商品になるかも

と思いつつ

本当に女性は忙しい。いたわりの言葉

かけて下さいね。

 

 

 


北方領土

2024年12月22日

私たちが住んでいる生地から北海道に大勢が

漁の仕事に行きました。黒部川をはさんだ

隣の入善町や、生地に多くの網元がいました、その人達と共に

越中衆と呼ばれ団結してよく働いたそうです

北方領土にいた人々はソ連兵が来る前に逃げた人

残った人々は、どうだったのか日ソ戦争の本を読む

色々な国との計画的戦争であったことを知り、近くの

バス停の名前は、北方住宅前と書かれてあります。

 

 


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